働くって憂鬱だ
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」なんてビジネス本?が昔あった。
たしかサイバーの藤田さんの本。
自分は読んだことはないのだが、たぶん、この本で使われている「憂鬱」は、いい意味なんだと思う。
「憂鬱」があるからこそ仕事が洗練されていく、とか、社会にメスを入れられる、とか、何か課題解決の起点になる、とか、・・・的な意味。
必要とされている「憂鬱」、つまり「意識の高い憂鬱」なのではないかと推測する。
いや、ほんと読んだことがないので予想なんですが。
ビジネス本だし、大体そんなことなんでしょ。
自分はここ1,2年働いていて憂鬱しか感じていない。
ココで言う憂鬱は、先に述べたような「意識の高い憂鬱」とは真逆。
なんの意志もない、ただただ面倒くささ優位のどうしようもない、「意識の低い憂鬱」である。
憂鬱界のレジェンドオブ底辺である。
何を隠そう、仕事が、働くことが、本当に憂鬱で仕方がない。
つまらないのだ。
面倒くさいのだ。
やりたくないのだ。
面白くないのだ。
単純作業ですらやりたくないのだ。
ロボットのほうがましだろそれ。なんだこれ。
リモートワークがずっと続いている。
ほんとここでしか言えないけど、全然集中できてないから。
仕事をやっているフリしているといっても過言ではない。
もっと頑張れるよ。でも頑張ってない。自分でも分かる。
糞サラリーマン。給料泥棒。自己嫌悪。
なんのために自分は仕事をしているのだろう?
家族を養うため・・・
いや、それな。ほんとそれな。
お金は、とりあえず必要だし、そのために働いてるよ。
家族のため・・・つまり、イコール自分のためだったりはするのだが・・・
なんだろね、全然心から楽しいって思えることが無いんだよね。
少し前はまだあったと思う。
企画書を自分で書いて、提案して、説得して、なんとか実現させて。
それが世に出て少し話題になって、社内でも少しもてはやされて。
楽しいなって瞬間はもっともっとあったんだよな。
それがなんだ今は。
真っ白な灰になってるよね。
いや、見た目はたぶんそうは見えないように装ってるから、
もっとタチが悪いかも知れないよ。
見た目は、やってる感・やる気ある感を出してて、心は死んでる。
たぶん見てる人には伝わってるんだろうなとも思う。
マネジメント層の皆さんもそんなバカじゃないでしょ。
たぶんきっと伝わってるよ。
こんな状態で働くことが、罪悪感もあるし自己嫌悪もある。
なにより、もっと楽しく働けたらどんなに幸せかって思う。
人生の多くの時間を、子供と遊ぶ時間を、自分のなにかに使う時間を、
仕事してるわけでしょ?それが楽しくないとか悲劇でしかないし、
そんな人生きっと死ぬ手前で「・・・?」ってなるでしょ。
それこそ灰だよな。
死ぬ前からすでに灰ではあるんだけども。。
サボっててもそこそこの給料もらえて、
そこそこの生活が出来る、この環境はおそらく相当恵まれてる。
このご時世で、この待遇は恵まれているよな。
それも自分が甘えてる大きな理由かもな。
結局なにもしなくてもいいんだから、何もしなくなる。
何もしなくても上手くいってしまうのだから・・・
ただ、それじゃ良くないぞーって頭では分かっていて、
変わりたいって思う自分もいる。
ただ、めんどくさい、つまらない、やりたくない、
そんなネガティブな感情のまま、PCの前に座り、今日も一日が終わる。
こんな状況の人っていないものかね。
自分だけかな。